2025年3月3日月曜日

9. 「快男子 石崎君」の充実人生

  1年前の5月25日、快男子「石崎豊和 君」は旅立ちました。

その3日前まで、入院先の日赤渋谷病院から「生活に酸素ボンベが必要となり、その訓練入院だ。自宅に帰ったらボンベをリビングのある1階に置くか生活空間の2階に置くか悩んでいるよ。」と、のんびりしたメールのやり取りをしていた私は「彼が退院したら見舞いに行こう・・」と思って安心しきっていました。実に彼らしい気遣いの旅立ちでした。

石崎君は宮大入学以来、我々宮大電気科S43生仲間の親睦を深めるために、いつも尽力してくれました。大学一年の夏、彼の鹿児島実家に学友の岡本君が訪ねてきて長逗留。お父さんが堪り兼ねて息子に「岡本君はいつ帰るのかな・・」と訊いたほどです。石崎家は親子ともに周囲に安心感を与える優しい人柄の家族でした。



卒業後も、関東地区で同窓会や新年会が続いたのは石崎君のお陰です。

勤務先は富士通、第一線のシステム技術者として活躍していましたが、彼の穏やかで友好的な人柄が見込まれたのか、営業部門へ引き抜かれて営業部長に! 「安藤、会社の金で酒が飲めるんだから最高だったよ!」と現役時代を振り返ります。きっとあの人柄で大きな商談を沢山まとめたことでしょう。

現役時代も退職後も仲間との懇親を大事にして、その中心にはいつも彼がいました。次の2017「箱根天成園温泉に寛ぐ3人衆」以降、石崎君の姿がないのは、2018年から癌闘病に入ったからです。

6年に及ぶがんとの壮絶な闘い、しかし彼は最後まで「安藤、人生で大事なのはクオリティーライフだよ!」といつも笑い飛ばしていました。旅立ちから1年、改めて石崎君の存在の大きさと、彼がいない寂しさを感じています。彼との57年にわたる「思い出画像」を振り返りながら、ご冥福を祈りたいと思います。

最初に両肺に影が見つかり片方を手術、摘出癌の細胞診をしたところ膵臓原発性と判明、体力回復を待って膵臓手術となりました。体力回復後に「残ったもう一方の肺がんを手術するか・・」ということになりましたが、この時の石崎君の判断はすごいと思いました

「両肺手術後の生活を考えるとその選択肢はない。たとえ短くてもクオリティーライフを楽しみたい!」

 そして化学療法を選びました。自分がそう言う立場になったらどうするだろうか・・といつも考えさせられます。(俺だったら一日でも長く生きたい・・と手術を選び、外出もままならず細々と生き長えるだけかも・・・と)

彼はクオリティライフのために化学療法を選びましたが、転移を抑える抗がん剤は強烈で「髪も眉毛もチン毛も抜けたよ。ヤーさんみたいになったので安藤とも会えない」というので、家内がアイラインを送ったりしました。

コロナ渦後、大分の友人夫婦が最後の関東旅行したいというので、その来訪の1カ月前に、小康状態となった石崎君と「彼の歓迎宴をやろう!」と新宿宮崎館で打合わせのために5年ぶりに再会しました。

彼が「抗がん剤治療で指紋もなくなり箸が持てない」というので、やせ細っているかと思いきや、なんとお相撲さんのように太り、体重は90kg超えで足の甲を痛めたとのこと。「食事も酒も旨い!」と、この時の写真で彼が持っている銘酒「杜氏潤平」7号瓶を買い、一晩で飲んでしまったそうです。(さすが鹿児島出身の酒豪です!)


一カ月後に同店で大分の友人を囲んで歓迎会、翌日、腰痛で参加できなかった小田原の友人を訪ねてロマンスカーで箱根天成園への2次会にもしっかり参加して旧友を温めてくれました。(その小田原の友人夫婦は、石崎君と最後のお別れ会でもあったのに2時間でさっさと帰ってしまいましたが・・😢)

しかしクオリティライフを追求する彼は、その一カ月後には奥様と二人で一週間の北海道ドライブ旅行に出かけました。 大好きなドライブ旅行のために数年前に買ったマニュアルシフトのディーゼル車で!大丈夫か?と心配する私に「安藤、これこそがクオリティーライフだよ!旅先で往生しても本望!」と笑っていました。

それから1年もたたない旅立ちでしたが、おそらく今も天国でマニュアルシフト車で駆け巡り、夜は焼酎を飲みながらお父さんお母さんと談笑し、「安藤、噂通り天国の酒は旨いし姉ちゃんは綺麗だ。天国クオリティライフは中々大したもんだぞ、お前も早く来いよ!」と言ってるような気がします。

『悪いけど、オレは今しばらく家内と現世クオリティライフを楽しむから、もう少し待っていてくれよ』(笑) 

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